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04/10/2006

全ては2006/11月スタート

 1967年にスタートしたNew Creative Studio 1967だったが、道は険しく、前を行く人もいなかった。1970年東京明治大学で(米沢嘉博)率いる迷宮’70という「漫画研究会」がスタート、漫画を研究して、表を死ながらこれから漫画家、小説家を目指す人々に、漫画のあり方を問うものであった。彼らは、「迷宮’73」。漫画批評グループ。彼らが出版した「漫画 新・批評体系」は、本流として漫画のあり方を根本から揺り動かす若い力を持っていた。
 東京でもそうだったが、九州においても、漫画を読む人は「無能者」みたいにみられていた時代があった。
 小説や、映画のほうが芸術的にまられたのである。
 どんな作品形態であろうが、作品は作品。彫像だろうが、イラストであろうが、創造し表現する能力は同じように芸術なのである。
 1974年、「米沢氏」は、九州の大学生、高校生に「いまは、どんな、豆粒のように扱われようと、人誰しも、隠れた能力がある。自己発見と、共に今後の漫画のあり方を、漫画同人誌を出版して、主張しようじゃないか。同人誌即売イベント会場は、僕らが確保する」
 (貧乏な奴ほど漫画を描きたがる)
 芸術を勉強する中で1番金の掛からないものは、と言えば、鉛筆画であろう。しかし、デッサン等を重ねていくと、やはりテキスト等が、必要になってくる。(4日)
 だったら、短歌、俳句、小説だろう。しかし、學がいるのでは。芸術の味わいは、ただ、親しむことにある、短歌、俳句を楽しみとして捉えるか、苦手な勉強として捉えるかのちがいなのです。
 漫画「ドラゴンボール」を読むのに、辞典片手に、「解読してやる」という意気込みで、読む人はいまい。楽しみ方も様々だが、何でも芸術と言うわけにはいかないのだ。(5日)
  いかなる高名の芸術家の絵画や彫刻などの作品がいかに芸術性の高い作品であったにしろ、それを鑑賞する人がいなければ、何の価値もありはしない。現にレオナルド・ダ・ヴィンチという高名な芸術家であり、科学者であったにもかかわらず、せんそうが起こると、数年繋って買い上げた絵画も、彫刻も戦乱にさらされ破壊されている。
 寺院に施された絵画も、食堂へ行くのに遠回りしなければならないことが、面倒であるが為、壁画の一部を破壊して通路を設けたとある。まず、国が潤い、建設意欲に湧くとき、多くの国民は、芸術に酔いしれるのである。しかしながら、現代は情報戦略の時代。いかなる戦争が起きようとも、クリーンが合い言葉なのだ。「クリーンな政治」「クリーンな戦争」「クリーンな大量殺人」刻人を納得させるには、いかなることもやってのけるのが、政治と集団心理なのだ。(6日)
 
  続く